この色は、比喩でも何でもなく、ミイラを原料にした色でした。
エジプトのミイラを粉砕したものをホワイトピッチ(樹脂)やミルラ(没薬)と混ぜて作られでいたのです。
これが、16世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパではごく普通の絵具として画材店に並んでいたのです。
当時の人々にとって、ミイラは万能な存在でした。
中世から「ミイラ(Mumia)」は貴重な薬として服用されていたんです。
薬としての需要が落ち着いた後、ミイラを粉にしたものが「透明感のある、非常に美しい茶色」であることが発見され、油絵の影を表現するのに最適だと重宝されました。
19世紀のイギリスの画家、エドワード・バーン=ジョーンズ(ラファエル前派)も、この絵具を愛用していました。
しかしある日、友人の画家ローレンス・アルマ=タデマから、この絵具が本当にミイラから作られていることを聞かされます。
彼は「死体から作った絵具で絵を描いていたなんて!」と深くショックを受けました。
そして、その日のうちにアトリエからマミーブラウンのチューブを持ち出し、庭に穴を掘って埋葬(供養)したと言われています。
捨てるんじゃなくて、きちんと埋葬するというあたりに、出どころへの恐怖が感じられますね。
マミーブラウンの最期は、なんとも現実的なものでした。
19世紀末、ミイラの供給が激減します。
それはエジプト政府による輸出制限や、観光資源としての保護という観点からです。
その後 1964年、ロンドンの老舗画材店ロバーソン社の社長は、「在庫のミイラが最後の一体分もなくなってしまった。もうマミーブラウンは作れない」と発表しました。
こうして、マミーブラウンという色は、ロストカラーになったのです。
現在、画材店で「マミーブラウン」という名前の絵具を見かけることがあっても、それは合成酸化鉄などを使って再現された「安全な代替品」であって、決してミイラから作られたものではありません。
実はミイラは絵具だけでなく、当時は蒸気機関車の燃料として燃やされたり、肥料として使われたりしていたという、現代の感覚からすると信じられない時代でした。
時代が変われば、常識も変わる‥‥‥。
そんなエピソードですね。
カラースクールT.A.A
フジタでした