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名画のハイライトから理想の肌色へ化けた『ジョンブリアン』

2026/11/05

まばゆい「光」を追った人類の夢の色

ジョンブリアン(Jaune Brillant)


「光」を描けない苦悩:土の黄色から、まばゆい新絵具へ

中世から近世にかけての西洋絵画において、「光」を表現することは途方もなく困難な挑戦でした。

当時、画家たちが手に入れることのできた黄色の代表格は、大地から採掘される「イエローオーカー(黄土)」でした。

素朴で落ち着いた風合いを持つ素晴らしい顔料ですが、どうしても土特有の重さと濁りがあり、降り注ぐ太陽のきらめきを描くには暗すぎたのです。

画家たちは、キリストの後光や、窓辺から差し込む暖かな光をなんとか鮮烈にカンバスの上に留めたいと願い続けました。

古代から使われていた「ネープルスイエロー(ナポリの黄色)」もありましたが、鉛を含み毒性が強く、扱いが極めて難しい絵具でした。

19世紀に入り、近代化学の発達とともにチューブ入り絵具が実用化されると、パリの画材店がこれまでにない鮮やかさを持つ新しい黄色を生み出します。

そのひとつとして世に出たのが、「Jaune(黄色)」+「Brillant(輝く)」、すなわち『ジョンブリアン』でした。

濁りのない光を一撃で画面に落とし込めるこの絵具は、自然界の光を追い求めていた画家たちにとって、まさに待望の「光そのもの」だったのです。

巨匠セザンヌを魅了した南仏の陽光

この新しい「輝く黄色」に誰よりも魅せられたのが、「近代絵画の父」と称されるポール・セザンヌでした。

セザンヌは南フランスのエクス=アン=プロヴァンスで、まばゆい太陽の下に広がるサント・ヴィクトワール山や、テーブルの上の果物を生涯にわたって描き続けました。

彼が厳選し、生涯手放さなかった「18色のパレット」の中に、パリの老舗画材店セヌリエ社の絵具「No.511 Jaune brillant」がはっきりと名を連ねています。

セザンヌにとってジョンブリアンは、単なる黄色ではなく、物体に光が当たって跳ね返る「ハイライト(光の頂点)」を構築するための不可欠な絵具でした。

暗いアトリエを飛び出し、外の世界の光をカンバスに捉えようとした近代絵画の夜明けは、この光を宿す絵具とともにあったのです。

ところが現在、フランスのセヌリエ社と日本の画材メーカーのジョンブリアンを比べると、ずいぶん色合いが違います。

フランスのジョンブリアンは鮮やかな黄色。一方、日本では淡いピーチ色やクリーム色など、人物の肌を描くのに便利な色として親しまれています。

同じ名前を持ちながら、国やメーカーによって異なる色になっている。これも色名の面白さなのでしょう。




海を越えた日本で「神カラー」となった理由

このユニークな絵具が、世界で最も熱狂的に迎え入れられた場所・・・それが明治以降の日本でした。

黒田清輝をはじめとする日本の洋画家たちがヨーロッパから油絵技法を持ち帰った際、人物を描くための必須絵具としてジョンブリアンが日本に上陸したとされています。

日本の大手画材メーカー(ホルベインやクサカベなど)は、この色を定番として製造し、美大受験生のデッサンや着彩に欠かせない画材として定着していきました。

そして昭和から平成、令和へと時代が移る中で、ジョンブリアンは思わぬ場所で爆発的な支持を集めることになります。

それが、日本の「漫画・アニメ・イラスト文化」の世界です。

透明水彩やコミックイラストを手がける絵描きたちの間で、「キャラクターの透き通るような白い肌、内側から血色がにじむような肌を描くなら、ジョンブリアンに敵うものはない」と語り継がれ、伝説的な定番色となりました。

メーカー側もその熱烈な声に応え、「赤みのあるピンク肌用のNo.1」「黄みのある健康的な肌用のNo.2」といったバリエーションを展開するほどになったのです。

さらに2000年代初頭、人種的多様性への配慮から文具のクレヨンなどから「はだいろ」という表記が姿を消し、「うすだいだい」や「ペールオレンジ」へと改称されていきました。

その過渡期にあっても、専門用語としての「ジョンブリアン」という響きは、偏見や固定観念を感じさせない洗練されたプロの色名として、若い世代のクリエイターたちに自然に愛され、今も受け継がれています。


「もっとまばゆい光を描きたい」という画家たちの果てしない渇望から生まれた、ジョンブリアン。

太陽のきらめきを描くために作られたその絵具は、やがて人の肌に宿る生命のぬくもりを表現する色へと役割を変え、遠く離れた日本のクリエイターたちの手の中で、今も無数の美しいキャラクターたちの肌に命を吹き込んでいます。

光を描くための色が、命の輝きを描く色へと受け継がれていく・・・。 

色彩の歴史が織りなすその壮大なバトンタッチを知ると、小さな絵具のチューブひとつにも、人類が美を追い求めてきた果てしない情熱がぎゅっと詰まっていることに気づかされます。


カラースクールT.A.A
藤田たかえ でした