「色の心理学」を中心に、五感を磨くメニューをご用意しているカラースクールです。
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  1. T.A.Aのカラフルブログ
 

T.A.Aのカラフルブログ

自分の中の 好きな所も嫌いなところも
自分の中のステキなところもダメなところも
自分の中の見せたい所も隠したい所も

自分で気づいて 自分の中に受け入れる・・・・・
そうすることで 前に進めるのだと思うのです
      T.A.A
Talk(話して) Awake(気づいて) Accept(受け入れる)
     
カラースクールを始めるにあたって
初めてアメブロに綴ったこの思いは
今も変わりません

色も香りも
自分の周りのすべてのものをツールにして
自分の未来は自分で開く
そんなあなたを応援したい
2026/03/23

苔のぬくもりが宿す、大地への愛と癒やし

モスグリーン

森の奥に足を踏み入れたとき、岩肌や古木の幹をやわらかく覆う苔の緑に、思わず手を伸ばしたくなったことはありませんか?

そのビロードのようなやさしい質感と、深みのある緑色・・・それが「モスグリーン」のルーツです。




「苔の色」という名前に込められた想い


モス(Moss)は英語で「苔(こけ)」を意味します。

つまり、モスグリーンとはズバリ「苔の色」のこと。

英語圏でこの色名が文献に登場したのは、18世紀後半から19世紀初頭・・・ちょうど産業革命が進み、都市化が加速していた時代です。

機械の音と煤煙に満ちた都市に暮らす人々が、ふと恋しくなったのが「手つかずの自然」でした。

湿り気を帯びた岩や樹木に密生する苔の、あのふかふかとした質感と静かな緑の深さは、騒がしい日常から離れた「平和と安らぎの象徴」として、人々の心に刻まれていったのです。

モスグリーンの色合いには、単純な緑にはない特別なニュアンスがあります。

少し黄みがかっていたり、茶色がほんのり混じった「くすみ」が特徴で、光の当たり方によってさまざまな表情を見せてくれます。

まるで本物の苔のように、生命感と奥行きを持った色なのです。



1970年代・・・「大地に帰ろう」のアースカラー革命

 



モスグリーンがファッションや文化の表舞台に大きく躍り出たのは、1970年代のこと。

この時代、ニューエイジ運動が本格化してきました。

1960年代を彩ったネオンカラーやプラスチック的なスペース・エイジの輝きへの反動として、人々は「アースカラー(大地の土の色)」へと心を向けていったのです。

それは瞑想・ヨガ・自然療法・エコロジーといった「バック・トゥ・ネイチャー(自然に帰ろう)」の潮流を生み出しました。

その中で、モスグリーンは「母なる大地(ガイア)」とのつながりを感じさせる色として重宝されたのでした。

自然素材のコットンや麻のモスグリーンを身にまとうことは、「私は自然の一部です」というアイデンティティの表明でもあったのです。


グラウンディングとハートチャクラ・・・スピリチュアルな癒やし


色彩心理の世界では、モスグリーンは特別な意味を持っています。

緑全般がハートチャクラ(心臓)の色とされるなかで、モスグリーンのような深みのある緑は、「グラウンディング(接地)」にも関わりがあることに気づかされます。

‥‥‥浮ついた心を地に足のついた状態へと落ち着かせる力(第1チャクラ)‥‥‥これには、補色とされる「赤」との関係が現れているようです。

ストレスで張り詰めた心をゆっくりほぐし、内側の静けさを取り戻す「再生のエネルギー」。

それがモスグリーンの持つ癒やしの本質です。

森の中で、苔むした岩に腰を下ろすと、なぜかほっとするあの感覚・・・その秘密は、色に宿っているのかもしれません。


現代のモスグリーン・・・サステナブルとコテージコア


時を経て現代に生きるモスグリーンは、「エシカル(倫理的)」「ウェルビーイング」という言葉とともに、新しい輝きを放っています。

化学染料を多用しない天然染め(ボタニカルダイ)では、モスグリーンに近い色域がとても出やすいのが特徴。

そのため、環境を大切にしたい人たちにとって、モスグリーンは「誠実さ」と「持続可能性」を体現する色になりました。

また、Z世代を中心に広まった「コテージコア(Cottagecore)」というムーブメントでも、モスグリーンは主役級の存在です。

田舎暮らしへの憧れや、森の中に溶け込むような暮らしを夢見るこのスタイル。

モスグリーンのニットやワンピースをまとうことは、デジタル社会の喧噪から心を解放しようとする、現代版の「バック・トゥ・ネイチャー」の表現といえますね。


カラースクールT.A.A
フジタでした




2026/03/18

最高の白は実は猛毒

シルバーホワイト


19世紀まで、画家たちが「これこそが最高の白だ」と信じて疑わなかった色があります。


それが「シルバーホワイト(別名:リードホワイト/鉛白)」です。


この色の正体は、「鉛」



その製造方法からして、現代の感覚では驚きの連続です。




驚きの製法


古代ローマ時代から続く、この伝統的な方法は「スタック法」と呼ばれました。


原料は、『鉛』『お酢』そして『馬糞』
  • 鉛の板を、酢を入れた壺に入れ、それを大量の「馬の糞(ばふん)」の中に埋めます。

  • 馬糞が発酵する熱とお酢の蒸気、そして発生する二酸化炭素が化学反応を起こし、鉛の表面に真っ白な結晶がこびりつきます。

  • その結晶を削り落とし、粉末にして油と混ぜると、最高級の白絵の具が完成します。




シルバーホワイトが愛されたワケ

 

 


鉛は体に取り込むと、脳や神経を侵す猛毒です。



猩々としては、激しい腹痛、手足の麻痺、幻覚、そして精神の崩壊・・・・・。



それでも画家たちがこの色を手放さなかったのには、圧倒的な理由がありました。


鉛白は、やわらかく温かみのある白を生み出します。

単なる真っ白ではなく、わずかに柔らかい光を帯びたような色合いを持ち、他の絵の具と混ぜることで微妙な明暗や肌の色を表現することができます。

ルネサンス以降、多くの画家がこの白を使い、人物の肌や光の表現を描き出しました。


 ✅「隠ぺい力」がすごい: 下の色を完璧に覆い隠す力がありました。

 ✅「乾燥」が早い: 油絵の具の乾燥を早める性質があり、作業効率が劇的に上がりました。

 ✅「輝き」が違う: 現代の安全な白(チタニウムホワイトなど)に比べ、独特の重厚感と真珠のような光沢がありました。

絵画の中に光を生み出す色、それが鉛白でした。

フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』の、あの光り輝く肌やパールの質感も、この鉛の白がなければ表現できなかったと言われています。

しかし、代償はあまりに大きいものでした。



画家たちは筆先を整えるために筆をペロッとなめたり、手についた絵の具がついたまま食事をしたりしていました。



その結果、多くの芸術家が「鉛中毒」に苦しむことになります。 



ゴヤヴァン・ゴッホも、絵の具を口に含む癖があったということです。



彼らの精神的な不調や体調不良の一因は「鉛中毒」だったのではないか、という説が有力です。






美しさの影に「死を招く白」



ところが、鉛白は絵画の世界だけで使われていたわけではありませんでした。


同じ白は、人々の「美しさ」を作るためにも使われていたのです。


ヨーロッパでは長い間、白い肌は高貴さの象徴とされていました。



太陽の下で働く農民とは違い、屋内で暮らす貴族の肌は白かったため、白い肌は上流階級のしるしと考えられていたのです。



その理想の肌を作るため、多くの女性が鉛を原料とした白い化粧品――いわゆる白粉を顔に塗っていました。


しかし鉛を含む化粧品を長く使い続けると、皮膚から少しずつ鉛が体内に取り込まれます。



頭痛や吐き気、神経障害などを引き起こすこともあり、美しさを保つための化粧が健康を蝕むという皮肉な結果を生むこともありました。



それでも人々は、理想の白い肌を手放すことができなかったのです。


そしてこの白い化粧の文化は、遠い日本にも存在していました。


平安時代の貴族の女性から江戸時代の遊女、さらには歌舞伎役者にいたるまで、顔を白く塗る化粧は日本でも長く美の象徴とされてきました。



江戸時代の白粉の多くには、やはり鉛を原料とした鉛白が使われていたといわれています。


白く整えられた顔は気品や美しさを象徴するものでしたが、その裏では肌荒れや体調不良などの問題も指摘されていました。



やがて近代になると鉛の危険性が知られるようになり、『命がけのメイク用品』は次第に姿を消していきます。




色への執着


鉛白という白は、芸術の世界でも、美の世界でも、人間の理想を支えてきた色でした。

画家たちは理想の光を描くためにこの白を使い、人々は理想の肌を作るために同じ白を顔に塗りました。

理想の「赤」が虫の命から作られていたのに対し、最も美しい「白」は人間の命を蝕む鉱物から作られていたのです。



シルバーホワイト――それは光を描くための色であると同時に、人間の美への執着を映し出す、少し危うい白でもあったのです。



美術館で古い絵画の「輝くような白」を見かけたとき、「これは馬の糞の中で作られ、画家の命を削った白なんだな」と思うと、また違った深みが感じられるかもしれませんね。




カラースクールT.A.A
藤田 でした

2026/03/11

奪い合う「赤」の王座、覇権争いの結果は・・・

コチニール・レッド


古来より『赤』という色は、情熱や権力、そして神聖さの象徴でした。


しかし、自然界で「鮮やかで、かつ色褪せない赤」を手に入れるのは至難の業でした。


この理想の赤を巡り、歴史上では劇的な「勝ち抜き戦」が繰り広げられてきたのです。



欧州の古豪「クリムゾン」の時代


中世ヨーロッパにおいて、高貴な人々がまとう赤色の主役は「クリムゾン」でした。


当時の人々にとって、クリムゾンは極めて貴重な染料でした。


この色の原料は、地中海沿岸の樫の木に寄生する「ケルメス」という小さなカイガラムシの一種。


ところが、ケルメスは非常に小さく、わずかな染料を採るために膨大な数の虫を採集しなければなりませんでした。


そのため、クリムゾンで染められた衣類は、王族や枢機卿といった最高権力者だけが許される「特権の色」だったのです。


この時代の「赤」の王者は、間違いなくこのクリムゾンでした。




新大陸での出会い「コチニール」の大逆転


16世紀、この勢力図を根底から覆す大事件が起こります。


大航海時代、スペインの征服者がアステカ帝国(現在のメキシコ)に、渡りました。


その地で彼らが目にしたのは、それまでのヨーロッパには存在しなかった、信じられないほど鮮烈な赤色でした。


それが、サボテンに寄生する『エンジムシ(コチニール)』から作られた色素だったのです。


コチニールのポテンシャルは圧倒的でした。


  • 発色の良さ: クリムゾンよりもはるかに鮮やかで、深みがある。

  • 生産性: 同じ重さのケルメスに比べ、約10倍の色素量を持っている。

この圧倒的なスペックの差により、その価値は非常に高く認められ、コチニールは銀に匹敵するほどの貴重な交易品として扱われるようになります。


スペインはこの染料を独占し、メキシコからヨーロッパへ大量に輸出しました。


当時のヨーロッパの宮廷や貴族の衣装、聖職者の装束、さらには軍服など、格式ある赤色の多くはコチニールによって染められていたといわれています。

英国兵の赤い軍服も、その一例です。

この時、コチニールから作られた最高級の赤色が、『カーマイン』という色名で呼ばれるようになりました。


ここに、歴史的な「赤の王者」の交代劇が完了したのです。



合成染料から天然素材への回帰


時が流れ、19世紀に石油から合成染料が作られるようになると、天然の虫を原料とする必要性は薄れていきました。


しかし近年では、合成着色料の安全性が議論される中で、「天然由来」の色素として再び注目されるようになっています。


現在では、食品や化粧品の着色料として広く利用されています。


たとえば、イチゴ味の乳飲料やヨーグルト、キャンディー、ゼリーなどに、あのやさしいピンク色を与えています。


いちごの果汁そのものを使うというのは、費用と手間を考えると、あまり現実的ではありません。


そこで食品メーカーは、私たちが思い描く「いちごらしい色」を再現するために、天然の赤色素であるコチニールを用いることがあるのです。


また、この色は化粧品の世界でも欠かせない存在です。


口紅やチーク、アイシャドウなど、肌に自然になじむ温かみのある赤色を作るために、古くから利用されてきました。


さらに意外なところでは、イタリアのリキュールとして知られるカンパリの鮮やかな赤色も、かつてはコチニールによって生み出されていました。


現在は別の着色料に変更されていますが、かつて世界中のバーで楽しまれていたあの赤いカクテルの色も、小さな虫から生まれたものだったのです。




私たちが何気なく目にしている赤色の背景には、小さな虫と人間の長い歴史が隠れていることに気づかされます。


ほんの数ミリの命が生み出す色が、大陸を越える貿易を生み、王侯貴族の衣装を彩り、そして現代の私たちの暮らしにも静かに溶け込んでいるのです。


コチニールレッドは、自然の中の小さな存在が、世界の色彩文化にどれほど大きな影響を与えてきたのかを教えてくれる、特別な赤色なのかもしれません。


  1. 食品・化粧品界の「コチニール」

  2. 芸術・デザイン界の「カーマイン」

  3. 伝統と深みの「クリムゾン」


洋の東西を問わず、人類は『赤』という色に対して、特別な感情を抱くようです。


そして、何とかして、この色を手にしたい、身につけたい、と願った気持ちも同様です。

数千年にわたる人間たちの「より鮮やかな赤」への執念は、その原料を、植物や鉱物だけにとどまらず、虫たちにも及んだのでした。



カラースクールT.A.A
藤田 でした





2026/03/03

世界一高価な色~サフラン・イエロー~

消えゆく黄金の輝き


今回は、前回のテーマ「マドンナブルー(聖母の青)」の対極に位置する色をご紹介します。


太陽の光を閉じ込めたような色、「サフランイエロー」です。


インドの僧侶が纏う、あの神聖な黄金色の衣。


その色彩の裏側には、世界で最も高価なスパイスとしての顔と、芸術家たちを悩ませた「刹那の輝き」という切ない物語が隠されています。



1グラムの黄金に宿る「150個の命」


サフランイエローが「世界で最も高価な色」と呼ばれる理由は、その驚くべき希少性にあります。 


キッチンでスパイスとして使うサフランを思い浮かべてみてください。


あの赤い糸のような一筋は、サフランの花の中心にある、わずか3本の「めしべ」を乾燥させたものです。


この色を染料として、あるいは絵具として手に入れるためには、想像を絶する労働が必要です。

  • 1グラムのサフランを得るために必要な花は、約150個。

  • 1キログラムともなれば、約15万個から20万個もの花が必要です。

しかも、収穫は1年のうち秋のわずか2週間。


それも、香りと色が最も強い「朝靄の立ち込める早朝」に、すべて手作業で摘み取らなければなりません。


機械化が不可能なこのプロセスが、サフランを「赤い黄金」へと押し上げたのです。




インドの僧侶が纏う「執着の放棄」


インドの街角や寺院で見かける僧侶たちの衣。


あの深いサフラン色は、単なるファッションではありません。


 ヒンドゥー教や仏教において、この色は「火」と「太陽」を象徴しています。


火は不純物を焼き尽くし、太陽は万物に命を授ける。


つまり、サフラン色を纏うことは、世俗的な欲望や執着を焼き捨て、悟りの境地へと向かうという「不退転の決意」の表明なのです。


最も高価な素材から生まれる色を、あえて「すべてを捨てた修行僧」が纏うというパラドックス。


そこに、この色が持つ計り知れない神聖さが宿っています。




絵画の世界:金を凌駕する「フェイクゴールド」


中世やルネサンスの画家たちにとっても、サフランは特別な存在でした。


 彼らがサフランを愛した最大の理由は、その「透明な輝き」にあります。


特に写本(美しい挿絵が描かれた本)の制作において、サフランは「フェイクゴールド」として重宝されました。


本物の金箔を貼る予算がない場合や、あるいは金では表現できない繊細な光沢を出したいとき、銀箔の上にサフランを薄く塗り重ねたのです。


すると、銀の反射とサフランの黄金色が重なり、本物の金以上に瑞々しく輝く「魔法のゴールド」が誕生しました。


また、青いマドンナブルーの上にサフランを薄く重ね、深い緑色を作り出す「グレーズ(上塗り)」技法など、画家たちはその透明感を最大限に利用しました。



 現代の美術館で会えない「幻の色」


しかし、サフランイエローには致命的な弱点がありました。


それは、ラピスラズリのような鉱物顔料とは異なり、光に極端に弱い「耐光性の低さ」です。


植物から抽出されたこの色素は、酸素や太陽光に触れると、数十年、数百年の時を経て静かに分解されてしまいます。 


そのため、現代の美術館で古い絵画を鑑賞しても、当時のままの鮮やかなサフランイエローを確認することは非常に困難です。


かつて黄金色に輝いていたはずの背景は茶褐色に沈み、鮮やかだった緑色は青へと戻ってしまっています。


私たちが今、名画の中に観る色は、あくまで「時間の洗礼」を受けた後の姿。


サフランの本当の輝きは、当時の人々の瞳の中にしか残っていないのかもしれません。




刹那に宿る美しさ


マドンナブルーが「永遠」を象徴する色だとすれば、サフランイエローは「刹那(せつな)」を象徴する色と言えます。


膨大な手間をかけて手に入れ、一時は金以上の輝きを放ちながらも、やがては消えてゆく、その命‥‥‥。


その儚さこそが、この色をより一層、神聖で、愛おしいものにしているのではないでしょうか。


後の時代、「消えない、永遠の輝き」を求めていたゴッホたちが、クロームイエローと出会った時の感動には、こんな伏線があったのでした。







カラースクールT.A.A
フジタ でした