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  1. T.A.Aのカラフルブログ
 

T.A.Aのカラフルブログ

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今も変わりません

色も香りも
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2026/05/29

髪色から始まった、輝きの物語

ブロンド



「ブロンド」と聞いて、何を思い浮かべますか?

 おそらく多くの方が、太陽の光を浴びてきらめく、美しい「金髪」を想像するのではないでしょうか。

実はこの「ブロンド」、私たちがよく知る「ゴールド」とは少し違う、独自の歴史と不思議なサイエンスを秘めた色名なのです。

今回は、この色の秘密を紐解いていきましょう。




「ブロンド」・・・それはヘアカラーから始まった?



「ブロンド(Blond / Blonde)」は最初から「髪の色」を表すために生まれた言葉です。

この言葉のルーツは、中世の古いフランス語やラテン語にあります。

もともとは「黄色と赤の中間の色」や「染められた色」を意味する言葉だったとされています。

ところが15世紀の終わり頃に、英語圏に伝わったときには、すでに「淡い黄色、あるいは栗色の髪」を指す言葉として定着していました。

つまり、ゴールド(金色)が「金属の輝き」から生まれた色名であるのに対し、ブロンドは最初から「人間の身体が持つ、美しく淡い輝き」を表現するために作られた、極めてパーソナルな色名だったのです。





髪色以外にも「ブロンド」は使われる?



「髪の色」として生まれたブロンドですが、現代ではその上品で柔らかな色合いから、ファッションやインテリア、さらには食の世界でも使われるようになっています。

  • ブロンドウッド(木材): メープルやアッシュなど、白っぽく明るい色味の高級木材を指します

  • ブロンドレース(レース生地): シルクで作られた、未漂白の自然な淡い黄色のレースのこと

  • ブロンドビール(エール): 黄金色に輝く、すっきりとした味わいのビール

  • ブロンドチョコレート: ホワイトチョコをじっくり加熱してキャラメル化させた、第4のチョコレート

ブロンドチョコレートについて

ヴァローナ(VALRHONA)
 ブロンドチョコレートというジャンルを世界で初めて作ったパイオニア

国: フランス

商品名: 「ドゥルセ(DULCEY)」

元々は、シェフがホワイトチョコレートを湯煎したままうっかり10時間以上放置してしまったという「偶然の失敗」から生まれました。

 美しいビスケット色(ブロンド)。香ばしいクッキーのような風味と、ほのかな塩気、コクのあるキャラメルのような味わいが特徴です。



「うっかり放置して焦がしちゃった」という失敗から、こんなに上品で美味しいブロンド色のチョコレートが生まれるなんて、なんだかロマンがありますよね。

ホワイトチョコのミルキーさに、キャラメルのような香ばしさと絶妙な塩気が加わっていて、コーヒーや紅茶にはもちろん、ウイスキーなどのお酒にもびっくりするほどよく合います。





ギラギラとした金色(ゴールド)よりも、「優しく、少しクリーミーで、透明感のあるモダンな薄黄色」を表現したいとき、デザイナーや職人たちはあえて「ブロンド」という言葉を選ぶというのも、うなづけます。


 世界で最も「ブロンド」が多い国はどこ?



世界中で愛されるブロンドヘアーですが、実は世界人口全体で見ると、天然のブロンドを持つ人はわずか2%前後しかいないと言われる非常に希少な色です。

では、そんな希少なブロンドヘアの人々が最も高い割合で暮らしているのはどこでしょうか?

それは、ヨーロッパの最北部、「北欧(スカンジナビア半島)の国々」です。

特にフィンランド、スウェーデン、ノルウェーなどの国々では、人口の大部分(一説には7〜8割以上)が天然のブロンドヘアを持っています。

これには、北欧の厳しい気候が関係しています。

日照時間が極端に短い北欧では、限られた太陽光から効率よくビタミンDを体内で合成する必要がありました。

そのため、メラニン色素が薄く進化した結果、肌が白くなり、髪も明るいブロンドになったとされています。



 髪の色と瞳の色には、どんな関係があるの?



「ブロンドの髪に、吸い込まれるようなブルーの瞳」。

映画などでよく見るこの組み合わせですが、実はこれには科学的な必然性があります。

髪の色と瞳の色(虹彩の色)は、どちらも「メラニン色素の量」によって決まります。

メラニン色素には、紫外線から体を守る役割がありますが、遺伝的にこの色素の量が少なくなると、髪は黒から茶色、そして「ブロンド」へと明るくなります。

これと全く同じ現象が瞳の中でも起こるため、メラニンが少ない人は瞳の色も薄くなり、ブルーやグリーン、グレーになりやすいのです。

つまり、「ブロンドの髪」と「明るい瞳の色」は、同じ遺伝的なルーツから生まれた「光を透過しやすい、兄弟のような関係」。

だからこそ、私たちはその組み合わせに自然な調和と美しさを感じるのですね。




未完成だからこそ美しい、光のグラデーション



インディゴブルーが「自分色に育てる未完成の青」だったように、実はブロンドもまた、時間とともに変化する繊細な色です。

天然のブロンドの多くは、子どもの頃に最も明るく、大人になるにつれて少しずつ落ち着いた栗色(ハニーブロンドやアッシュブロンド)へと変化していきます。

単なる「黄色」や「金色」の一言では片付けられない、人間の生命の神秘と、北欧の澄んだ光の歴史が織りなすのが「ブロンド」なのです。




カラースクールT.A.A
フジタ でした



2026/05/23

藍が生んだ永遠の定番

インディゴブルー


労働者の「タフな相棒」から始まったジーンズ




ジーンズの歴史は、19世紀半ば、アメリカ・カリフォルニアの「ゴールドラッシュ(金鉱掘り)」の時代にまで遡ります。

当時、一攫千金を夢見て集まった鉱夫たちの最大の悩みは、作業着がすぐに破れてしまうことでした。

そこに目をつけたのが、仕立屋のヤコブ・デイビスと、生地商のリーバイ・ストラウス(のちのリーバイス社の創業者)です。

彼らは、テントや船の帆に使われていた頑丈なキャンバス生地(のちにデニム生地)を使い、破れやすいポケットの端を「金属のリベット」で補強したズボンを開発しました。

これが、現代のジーンズの原点です。



なぜインディゴブルーだったのか?




では、なぜその作業着は「インディゴブルー」に染められたのでしょうか。

そこにはファッション性ではなく、切実な「実用性」がありました。

天然のインディゴ(植物の藍)には、ピレスリンなどの成分が含まれており、これには優れた「防虫効果」や「消臭・抗菌効果」、さらには「蛇除けの効果」があるとされていました。

草むらや暗い金鉱で働く労働者たちにとって、インディゴで染められた青いズボンは、大自然の脅威から身を守るための「プロテクター」だったのです。

さらに、インディゴ染めには「糸の芯まで染まりきらない(芯白)」という特性があります。

そのため、擦れると表面の青が落ちて白い芯が見えてきます。

一見デメリットに思えるこの「色落ち」ですが、労働者にとっては「汚れや傷が目立ちにくい」という好都合な特徴でもありました。

この偶然の産物が、のちに世界を熱狂させることになります。




江戸の街を席巻した「ジャパン・ブルー」の熱狂




少し時間を巻き戻してみましょう。

アメリカでジーンズが誕生するより前、実はここ日本でも、インディゴブルーが国中を席巻する大ブームが起きていました。

舞台は日本の江戸時代です。

それまで、庶民の衣服といえば麻が主流でしたが、江戸時代に入ると全国で「木綿(わた)」の栽培が爆発的に普及します。

木綿は肌触りがよく、暖かく、そして何より「染料が染まりやすい」という最高の特性を持っていました。

この木綿の登場によって、一躍トップスターに躍り出たのが「藍染め」です。

江戸幕府は庶民に対して「贅沢な着物を着てはならない」という厳しい倹約令を出していたため、人々は限られた色の中でオシャレを楽しむしかありませんでした。

そこで職人たちは、藍の濃度を巧みにコントロールし、「甕除き(かめのぞき)」から「縹色(はなだいろ)」、そして黒に見えるほど濃い「勝色(かちいろ)」まで、なんと数百種類もの「青のグラデーション」を生み出したのです。

タフで、汗を吸い、虫除けにもなる藍染めの木綿着は、江戸の町火消し、職人、商人、そして農民まで、あらゆる階層の制服となりました。

明治時代に日本を訪れたイギリスの科学者ロバート・アトキンソンが、街中が青一色に染まっている光景を見て、これを「ジャパン・ブルー」と絶賛したという逸話が残っているほどです。

海の向こうのジーンズと同様に、日本の江戸でも「機能性とファッション性の融合」から、インディゴブルーの文化が花開いていたのですね。



世界を魅了した「ストーンウォッシュ」




そんな江戸から続く日本の「藍・木綿(デニム)のDNA」は、戦後、思わぬ形で結実します。

それが、国産ジーンズの聖地と呼ばれる「岡山県」の物語です。

1970年代、昔ながらの生デニム(リジッドデニム)はゴワゴワと硬く、体に馴染むまでに長い時間がかかるのが難点でした。

そこで岡山の職人たちは、ジーンズを軽石(天然の石)と一緒に大きな洗濯機に入れて洗うという大胆なアイデアを思いつきます。

これが「ストーンウォッシュ」の誕生です。

石とデニムがぶつかり合うことで、生地が適度に柔らかくなり、新品でありながら「何年も穿き込んだような、美しいインディゴのグラデーション」を人工的に作り出すことに成功したのです。

江戸の職人たちが藍のグラデーションにこだわったように、岡山の職人たちもまた、インディゴの「青の表現」に執念を燃やした結果、世界中のデニムファンを熱狂させる聖地となりました。




インディゴブルーの力



色彩心理学において、青は「冷静」「信頼」「誠実」を表す色ですが、その中でも深い「インディゴブルー」は、さらに特別な心理効果を持っています。

インディゴブルーは、「内省(自分と向き合うこと)」と「直感」を刺激する色です。

心がざわざわしているとき、この深い青を見つめると、脳の興奮が抑えられ、呼吸が深く静かになっていくのを感じられます。

また、江戸の庶民がこぞって身に纏ったように、この色には「地に足のついた、揺るぎない生活の知恵」が宿っています。

そのため、身につけるだけで、周囲に「ブレない軸を持った人」「信頼できる人」という洗練された、かつ親しみやすい印象を与えるのです。

ジーンズがこれほどまでに世界中で愛され、流行に左右されない定番であり続けるのは、インディゴブルーが持つ「着る人にも、見る人にも、深い安心感を与える心理効果」が、無意識に働いているからなのかもしれません。


ゴールドラッシュの荒野を守り、江戸の街を青く染め上げたインディゴブルー。

それは時を越え、日本の職人の技を経て、いま私たちのクローゼットの中に息づいています。

インディゴブルーの最大の魅力は、「未完成の色」であることです。

穿く人の歩き方、座り方、過ごした時間によって、青は少しずつ変化し、世界に一着だけの「あなたの物語」を刻み込んでいきます。

もし、日々の忙しさに少し心が疲れたなら、お気に入りのジーンズに足を通し、その深い青に身を委ねてみてください。

インディゴブルーは、あなたが重ねてきた時間をすべて肯定し、静かな自信となって、明日への一歩を支えてくれるはずです。



カラースクールT.A.A
フジタ でした


2026/05/13

太陽をも包み込む自由の色彩

ポピーオレンジ



街を歩き、ふと足元に見つける、弾けるようなエネルギーに満ちたオレンジ色‥‥‥。


今回のテーマは、自由と生命力の象徴「ポピーオレンジ」です。




街角を彩る「ポピーオレンジ」の正体



私たちが日常で出会うポピーオレンジには、主に二つの顔があります。


1つは、「ハナビシソウ(カリフォルニアポピー)」。 



その名の通り、カリフォルニアの乾燥した黄金色の地平線を象徴する花です。



太陽が昇ると開き、沈むと閉じるその花びらは、まるで太陽の光をそのまま結晶化させたような純度の高いオレンジ色をしています。


もう1つは、「ナガミヒナゲシ」。


こちらは毒性がある、ちょっと要注意のポピーです。





ポピー~最古の色彩はどこから?




ポピーそのものの歴史は驚くほど古く、数千万年前から地球に存在していたとされています。



古代メソポタミアでは、すでに薬草や観賞用として人々の生活に溶け込んでいました。


では、最初は何色だったのか? 



植物学的なルーツを辿ると、初期の花は「鮮やかな赤」や「淡い紫」であった可能性が高いと言われています。



しかし、ポピーが進化の過程で、より乾燥した土地や、強い日差しが降り注ぐエリアへと版図を広げる中で、この「オレンジ」という色彩が重要になりました。


オレンジ色は、多くの昆虫を惹きつけるだけでなく、強烈な紫外線から自らを守るための「知恵の色」でもあります。



ポピーオレンジは、過酷な環境を生き抜くためにポピーが手に入れた、最強の鎧であり、最高のドレスといえます。





多彩な「オレンジ」のパレット





一口に「ポピーオレンジ」と言っても、現代の園芸種を含めるとそのグラデーションは驚くほど豊かです。


  💛ビビッド・ポピー: ハナビシソウに代表される、目が覚めるような鮮烈なオレンジ


  💛シャーベット・オレンジ: アイスランドポピーに見られる、白を混ぜたような優しいパステル調。


  💛テラコッタ・ポピー: どこか土の匂いがするような、深みのある落ち着いたオレンジ。


これほどまでにバリエーションが増えたのは、ポピーが世界中の庭師や愛好家に愛され、交配が繰り返されてきたからです。



しかし、どの色にも共通しているのは、花びらが薄紙のように繊細で、光を透過させるということ。



光を通すことで、オレンジは、より内側から発光しているように見えるのです。





「魔薬」の影を振り払う、健康的な輝き





「ケシ(ポピー)」と聞くと、どうしてもアヘンやモルヒネといった「魔薬」のイメージがつきまとうかもしれません。



 しかし、私たちが愛でるポピーオレンジの花たちの多くは、それらとは全くの別物です。


アヘンが採取される「ソムニフェルム種」などは、法律で厳しく管理されており、その姿もどこか重々しく、葉や茎に特徴があります。



一方で、私たちの目を楽しませてくれるポピーオレンジは、毒性を持たず、ただ純粋に視覚を通じて私たちの心を癒してくれます。


かつて、特定のケシが人々を「眠り」や「幻覚」へと誘ったのだとしたら、現代のポピーオレンジは、私たちを「覚醒」へと導いてくれます。



それは決して危ういものではなく、沈んだ気持ちを前向きにし、明日への活力を与えてくれるような、健康的な目覚めです。




ポピーオレンジが私たちに届けるメッセージ





色彩心理学において、オレンジは「社交性」「元気」「幸福感」を象徴します。



ポピーオレンジは、そこに「繊細さ」と「野生の強さ」が加わった色です。


そよ風に揺れるその姿は、一見すると折れてしまいそうなほど、儚げです。



しかし、一度根を張れば、どんな荒地でも花を咲かせる強さを持っています。 



 「どんな場所でも、自分らしく、鮮やかに笑っていていいんだよ」


ポピーオレンジは、そんなメッセージを届けてくれるように思います。

初夏の光をその身に宿し、軽やかに揺れるポピーオレンジ。 



もしあなたが今、何かに縛られていると感じたり、エネルギー不足を感じていたりするなら、ぜひこの色を身近に置いてみてください。


一輪の花でも、あるいはオレンジ色のハンカチ一枚でも構いません。 



数千万年の時を超えて、太陽をも包み込み、共鳴し続けてきたこの色が、あなたの日常に新しい光を届けてくれるはずです。




カラースクールT.A.A
フジタ でした

2026/05/05

皇帝が愛した「緑」――ナポレオンの意外な本質

エンペラーグリーン




ナポレオン・ボナパルト・・・といえば、多くの方が、白馬に跨り、真っ赤なマントを翻してアルプスを越える、あの情熱的でアグレッシブなイメージをお持ちなのではないでしょうか?

戦場を支配し、自らの手で皇帝の冠を勝ち取った覇者。

その姿はまさに、エネルギーと闘争心の象徴である『RED』の色彩心理と重なります。

ところが、歴史の断片を丁寧に繋ぎ合わせていくと、彼の私生活や精神性の深い部分には、全く異なる色が横たわっていたことがわかります。

それが、穏やかで調和を重んじる「グリーン」です。





「レッド」の仮面の下に隠された本質



ナポレオンが「英雄」と呼ばれるようになったのは、彼が軍事的な天才だったからだけではありません。

彼は、混乱を極めたフランス革命後の社会に「秩序」と「安定」をもたらした人物でした。

彼が心血を注いだ「ナポレオン法典」は、破壊ではなく「構築」のためのツールです。

色彩心理において、グリーンは「平和」「バランス」「秩序」を象徴します。

彼が成し遂げた近代国家の礎石は、実はグリーンの気質・・・つまり、バラバラになった社会を一つの調和ある組織にまとめ上げ、人々が安らげる土壌を作りたいという願い・・・から生まれていたのではないでしょうか。

戦場のレッドは、理想のグリーンを手に入れるための、いわば「補色」としての役割を果たしていたのかもしれないと思うのです。




ジョセフィーヌという「主役」を輝かせる背景




ナポレオンの人生を語る上で欠かせないのが、最愛の女性ジョセフィーヌです。


彼女は、当時の社交界で最も輝いた「華」でした。


莫大な衣装代を惜しみなく使い、最高級の宝石を身につけることが大好きな彼女を、経済面で支えていたのはナポレオンです。


この「支える愛」が最もドラマチックに表現されたのが、1804年、ノートルダム大聖堂で行われた皇帝戴冠式でした。


通常、戴冠式ではローマ教皇の手によって王冠が授けられるのが伝統でした。


しかし、ナポレオンは教皇から王冠をひったくるように受け取ると、まず自らの手で自分の頭に載せました。


ここまでは「レッド」の覇者としてのエピソードとして有名です。


しかし、その直後の行動こそが彼の真骨頂でした。


彼は跪くジョセフィーヌに対し、自らの手で、慈しむように皇后の冠を授けたのです。



ダヴィッドの名画『ナポレオン一世の戴冠式』にも描かれているこの瞬間、彼は皇帝という全能の権力を持ちながら、一人の男性として「愛する女性を世界で最も輝く主役にする」という喜びに浸っていました。


色彩心理において、グリーンは「誰かを支え、その人が輝くための土台になること」に深い充足感を見出す色です。


広大な帝国を支配する皇帝が、その頂点の儀式において「妻に冠を授ける背景」であることを選んだ。


この行動こそ、彼の本質が情熱の赤ではなく、調和と献身のグリーンであったことを何よりも雄弁に物語っています。


彼が愛した「エンペラーグリーン」は、主役を邪魔せず、それでいて高貴な安定感を与える、まさに「最愛の主役を輝かせるための背景色」だったのです。







死を招いた「理想の緑」



しかし、この物語には悲劇的な結末が待っています。

ナポレオンは晩年、絶海の孤島セントヘレナに流されます。

そこで彼が過ごした部屋の壁紙は、彼が好んだ鮮やかな緑色・・・通称「シェーレグリーン」で彩られていました。

当時の科学では、この美しい緑色を作るために「砒素(ひそ)」が使われていることの危険性が十分に認識されていなかったのです。

湿度の高い島で、壁紙に発生したカビが砒素を分解し、無色無臭の毒ガスとなって英雄の肺を侵していきました。

誰よりも平和と安らぎ(グリーン)を求め、戦場を離れて静かな暮らしを望んでいた男が、皮肉にも自らが選んだ「癒やしの色」によって命を削られたのです。

歴史のいたずらと言うには、あまりに切ない最期でした。



私たちがナポレオンから受け取るメッセージ



「ナポレオンにはリーダーシップがあった」という定説は、一面では正しいでしょう。

しかし、彼がなぜあれほどまでに人々を惹きつけたのか?

それは彼の中に、誰よりも「平穏な世界」を渇望し、誰かのために尽くしたいという、グリーンの優しさが潜んでいたからではないかと思えてなりません。

もし、彼が現代に生きていたら、軍人ではなく、美しい庭園を整える庭師や、人々の権利を守る誠実な法律家になっていたかもしれません。

もちろん、悪に対しては断固たる姿勢を貫く、正義の味方として‥‥‥。


色で人を捉えてみると、その行動の意味や、多面的な人間性が見えてくる・・・その代表例が、この人、ナポレオンです。

さて、あなた自身は、いかがでしょう?

自覚している自分の色は、周囲に見せている「仮面の色」でしょうか? それとも、誰にも見せていない「本質の色」でしょうか?





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